『姿三四郎』ハスの花が開く音の不思議
2008 / 06 / 13 ( Fri )
黒澤明監督が『姿三四郎』(1943年・東宝)の中で「蓮の開花する音」を入れた…というのは、知ってる人は知ってる、知らない人は全然知らない話です。

この作品が一月ほど前でしたか、BSだかCSだかでやっていたので久しぶりの鑑賞。以前観たとき、肝心な「蓮の開花音」がよく分からなかったので今回は耳をかっぽじって聴こう…と。TVのスピーカーは介さず、デジタルのままミキサーに入れた音をヘッドフォンでモニターしました。

藤田進演じる姿三四郎がセンセイ(大河内伝次郎)にその蛮勇を戒められ、池の中で一晩苦悩し、夜明けと共に悟りを開く…というシーンに、この蓮の開花が、そして伝説の効果音が当たっている…

はずなのですが。

えー、結論から言いますと、今回もよく分かりませんでした。
古い作品ですのでフィルムノイズはバチバチ言っています。でも、他の小さな効果音の聞こえ方からすると、黒澤明がこれだけ意図的に狙って入れたはずの音が雑音に埋もれる…ということがあり得るだろうか…?

木村哲人(*1)という効果マンさんが著書の中で、この『姿三四郎』に触れています。(*2)

「小学生のわたしは巡回映画の、広場に立てられた白い布のスクリーンで見た記憶がある。
 問題のハスの開花は映写機の回転音に消されて聞こえなかった。
 半ば伝説になったハスの音は、先輩の録音技師から何度も聞かされた。
 わたしはいつか本物のハスの開花を録音しようと思っていた。」
 (『音を作る』(筑摩書房)215ページより)

ここで木村さんが「先輩技師から何度も聞かされた」のは、映画からコピーした開花音そのものなのか、それとも「話」だったのかが分かりません。

個人的にはどうもしっくりこないのです。引っかかるのは以下の2点。

1:公開当時でさえ録音・再生技術が未熟(=新作時すでに音が不明瞭)だったのに、
  黒澤明が「聞こえるか聞こえないか」程度の音量で効果音を入れたとは考えにくい

2:その気になればリバイバル上映その他で何度も観る機会があるはずの黒澤映画。
  あらゆる音を録り、作り、効果音研究に尋常ならざる情熱を生涯燃やし続けた
  木村哲人さんが、小学生の時に聞き損なった「伝説の音」をその後一度も
  再確認しなかったとは考えにくい
 (何度もお聴きになったけどやっぱり分からなかったのではなかろうか…)

黒澤明の新作は当時から他の映画人(現場技術者)の耳目を集めていて、たとえば録音のこと、効果音のことなどは東宝も箝口令を敷いていたのだとか。こういう事情もあって、黒澤映画の製作技術にまつわるうわさ話はかなりの尾ひれがついて広がった…と云います。

果たして、公開当時にはかすかに聞こえていたハスの開花音が、時代を経て音が劣化したためにノイズに埋もれてしまった…のでしょうか。もしかしてもしかしたら、狭い業界で(無自覚のうちに)作られた伝説で、初めからそんな音はついていなかった、ということは…うーん、やっぱりあり得ないかな…。

この作品には「音響効果」のスタッフクレジットがありません。1942年、東宝に入られた三縄一郎さん(*3)かもしれません、違うかもしれません。

ちなみに1965年の『姿三四郎』(宝塚映画・黒澤プロダクション製作)には、確かに「たんっ!」「とんっ!」と聞こえる、蓮の花の開く音が何発も入っています。この作品の監督は内川清一郎。黒澤明は製作と脚本に名を連ねています。三四郎役は加山雄三。

(click↓して再生=27秒)
こっちは確かに聞こえる1965年版『姿三四郎』


(*1)三谷幸喜の映画初監督作品『ラヂオの時間』で藤村俊二扮する「引退した効果マン」のモデルとなっているのが木村哲人(きむらのりと)さん。「効果音監修」として木村さんの名前がスタッフロールにクレジットされています。木村さんとそのご著書については、またいずれ何度も取り上げたいトピックだらけ…です。

(*2)『音を作る』で、木村さんは『姿三四郎』を1945年公開映画…と書いていらっしゃいます。調べてみると1945年に作られたのは『続姿三四郎』となっていまして、こちらにはハスの花が出てくるシーンはなかったとおもうのですが…。

(*3)数々の「歴史的な効果音」を作られた方。詳しくは機会あらためて。一般にはゴジラの鳴き声を作った人…として有名でしょうか。『ゴジラ』(本多猪四郎監督1954年・東宝)

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ミナ・トーキー2
2008 / 03 / 24 ( Mon )
前回のつづき。

Lee De Forest(1873-1961)が開発したシステムを、皆川芳造が権利を取得して日本に持ち込みミナ・トーキーと呼んだようです。なので、これはたとえば土橋式トーキーのように「国産」とは呼べないのかもしれません。

皆川に依れば、このリー・ド・フォレストという人は大正十二(1923)年にトーキーを発明、ニューヨークで上映を行った…。しかしちょっと調べてみると世界初のトーキー映画としては1927年にワーナー・ブラザーズによる『ジャズ・シンガー』という作品だということになっていて、フォレストのトーキー発明より四年も遅いのに世界初。よく分からない…。
ちなみにこの『ジャズ・シンガー』は映写される映像にレコードを同期させるVitaphone方式というものを採用していたようです。

先に「皆川に依れば〜」と書いたのは、本人が建てた石碑を典拠としています。
浅草からほど近い、隅田川のほとりにある待乳山聖天(まつちやま-しょうでん)という寺院に「トーキー渡来記」と題したこの記念碑があります。

minagawa.jpg

この碑文、現時点でネット上には見あたらないようですので、以下に全文を載せておきます。

-------<以下、碑文翻刻>-------

トーキー渡來記(*右から左へ横書き)

(*以下すべて縦書き)
リー・デ・フオーレスト博士は明治六年米國アイオワ州に生れ(ママ)無線電信電話の開拓者として三百有余の特許権を得(改行)
ラジオの父と仰がる。大正十二年更にトーキーを発明、紐育市に於て(ママ)上映世人を驚かせたり。大正十三年故高峰譲(改行)
吉博士令息エヴエン氏來朝の際、余親しくその詳細を聴きて将來に着目す、翌年渡米、博士の好意により東洋にお(改行)
けるトーキーの製作及び配給権を獲得したり。依て(ママ)米人技師を帯同帰國、大正十四年七月九日宮中に於て(ママ)(改行)
天皇皇后両陛下の天覧に供し各宮殿下の御覧を仰ぎたる後一般に公開せり。トーキーの我が國に招來されたる之を(改行)
以て初めとす。以來余、我國におけるトーキーの製作を企図し、日本人技師をフオーレスト博士の許に派して技術(改行)
を習得せしめ余の渡米もまた前後九回に及べり。大正十五年大森撮影所において撮影を開始し、ミナトーキーの名(改行)
を冠して黎明、素襖落、大尉の娘等の劇映画を完成す。これ我國におけるトーキー製作の濫觴なり。爾來トーキー(改行)
は日進月歩、昭和三年の衆議院議員普通選挙には時の田中首相及び三土、山本、小川の各閣僚が自ら画中の人とな(改行)
りて政見を発表する等の普及発達をみたる外ミナトーキーは上海を始め東洋各地にも大いに進出するに至れり。(改行)
今やトーキー我國に渡來してより三十年を閲するもフオーレスト博士の発明形式は依然として世界各國に踏襲さる。(改行)
フオーレスト博士は極東軍総司令官マツカーサー元帥を介して余に日本におけるテレビジヨンの創設を慫慂したり。(改行)
正力松太郎氏にその意を伝う。正力氏夙にテレビジヨンの創設に意あり、フオーレスト博士の勧奨を機とし、氏(改行)
独自の構想の下にテレビジヨンの実現に努力し遂に昭和二十七年テレビジヨン電波許可第一号を受け、日本テレビ(改行)
放送網株式会社を創立し余もまた役員に加わる。翌二十八年八月三十日日本における最初の電波を出せり。これ偏(改行)
に正力氏の業蹟に依ると雖もまたフオーレスト博士の日本への友情に基く(ママ)ものというべく吾人の感謝措く能わざる(改行)
ところなり。(改行)
今日トーキーの普及発達は実に目覚しく(ママ)、テレビジヨンの普及もまた瞠目に値す。フオーレスト博士の文化に貢献(改行)
する処絶大なりというべし、茲に余の旧縁の地待乳山の名蹟を卜して碑を建てトーキー渡來の由來とテレビジヨン(改行)
創成の縁由を刻して博士の功績を讃え併せて報恩の微意を表す。(改行)
昭和三十一年五月吉日 建碑者 皆川芳造

-------<以上>-------


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ミナ・トーキー
2008 / 03 / 23 ( Sun )
一般的に日本初のトーキーは松竹による『マダムと女房』(昭和六年=1931年 監督:五所平之助)とされています。ただ、厳密に「日本初」となると作品の特定が難しいようです。

たとえば皆川芳造という人の名前を冠したミナトーキー(ミナ・トーキー)による映画はこれより早く、大正十四年(1925年)に天皇皇后両陛下の前で上映、その後一般にも公開されたという記録もあります。劇映画としても大正十五年『黎明』『素襖落』『大尉の娘』などの作品が大森撮影所で作られているそうです。また、昭和三年の衆議院議員普通選挙に際しては時の田中義一首相その他の閣僚(恐らく三土忠造 山本悌二郎 小川平吉)がこのミナ・トーキーで政見発表まで行ったとのこと。

皆川芳造の名前がクレジットされた映画をYouTubeで観ることができます。
(素晴らしいですねYouTube!)

1939年(昭和十四年)に製作された、この『靖國神社』という作品中、5分あたりに「支那事変」というセクションがあります。そこでは嬉しいことに音楽・ナレーションなしで効果音のみを聴くことができます。ミナ・トーキーに限らず、この頃のトーキー映画は恐らくほとんどがアフレコだと思われますが、この「支那事変」では戦闘機の音まで入っていて驚きました。






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